山形秘湯巡りと芋煮会空振りの巻

敬老の日前の連休は天気が悪く登山もキャンプも諦め、かろうじて雨マークのない東北地方に行って、観光旅行と秘湯巡りをすることにした。
自宅を14日の朝6時に出発して、まずは福島の磐梯山猪苗代湖を目指した。
読みが当たって天気は快晴になった。
磐梯山にはすでに登っていたので、まだ行ったことのない喜多方で、有名な和風ラーメンを体験することにした。
猪苗代湖に接して磐梯山の麓に広がる平野は広々として空が高い。福島はなんだか日本のアルルのようだ(なんちゃって・・)。
地平線まで続く田んぼは輝く黄色と明るい緑の美しいゴッホの絵のようで、稲は重い実をつけて首をたれていた。
今年の夏は暑い日が続いて旱が心配されたが、湖からの水が豊富なのだろうか、稲は豊作のようだった。
喜多方駅からそれほど離れていない街道筋の店で本場の喜多方ラーメンを味わってみた。

醤油と塩味の煮干し出汁ラーメンを食べてみると、両方とも同じやや固めの太麺で、全体としてまあまあ普通で、可もなく不可もなくの印象だった。
それでもご当地で食べるとなんとなくありがたい気分になった。
連休の始まる一日前の金曜日から休みを取ったが、宿は未定だった。
運よく、初日の宿は前日の昼に予約が取れた。
山深い旧米沢街道を走る奥羽本線の峠駅が最寄駅の秘湯、滑川温泉福島屋だ。
峠駅はなんとこの木造の駅舎の中にホームがあり新幹線が通過する。まさに秘境だ。
福島屋は一軒宿の脇を滑川の滝が流れる、異論の出る余地がない全くの秘湯だ。
最近年のせいで食欲はあっても沢山は食べられなくなってしまったので、食事少なめのコースを頼んでおいた。





部屋は自炊部の和室だった。
渋い。磨かれた板の廊下に白い障子。まさに歴史ゆかしい文化遺産の中に泊まる。
宿には岩風呂と檜風呂のふたつの露天風呂があり、内湯には女湯と混浴の大浴場がある。
温泉は白味を帯びたほぼ透明の優しいお湯だった。


何度か風呂に入り、すっかり伸びきって部屋で待つと出てきた夕食は少なめコースのはずなのに、米沢鯉の洗い、イワナの塩焼きに山形牛の芋煮、その他地元野菜の煮びたしやおひたしなどと多彩で、揚げ物だけが出ない鄙びた二の膳付きのフルコースだった。

夕方から雨になった。
宿から1キロメートルほど離れたところには滑川大滝があると廊下の柱に張り紙があった。天気が良ければカメラを提げてハイキングがてら行ってみたかった。
夜が明けて二日目の朝は雨足は弱まったもののまだ止んでおらず、沢筋は滑ると危険なので大滝見物は断念し、名残を惜しんで宿を後にした。
このあと雨が上がり昼前には晴れて日が差して暑くなった。
二日目の宿泊地は肘折温泉だ。
せっかく近くまで来たのだから見るだけでも、と宿の人に勧められたので銀山温泉に寄り道することにした。
銀山温泉は想像していたよりもずっと小さな温泉町だった。
宿のある通りは突き当りの滝から流れ落ちた山の水が流れる狭い川を挟んで、せいぜい百メートルあるかないかだった。
大正ロマン溢れる贅をつくした旅館が並ぶ。なんだか息が詰まるような、妖しげな雰囲気が漂う。





かつて銀の採掘が盛んな頃、巨万の富を得た大大尽や行政府の代官が遊興三昧に耽った温泉宿なのだろう。
とてもここで長逗留はできそうもない。予約を入れなくてよかったように思った。
日帰り入浴施設には入らず、話のタネに豆腐だけ食べて早々に立ち去った。

山中をのんびり走ると美しい棚田が見えた。
山形ではもう稲がすっかり黄色く色づいている。
見通しのきかない山道を行くとひょっこりと萱葺屋根の古民家の蕎麦屋に出くわした。


この地の名物らしい更科の大板そばを頼んだ。量が多くてすっかり満腹になる。
泊まった肘折温泉は今回が2回目の訪問だ。
前回はI氏の13回忌の墓参りの帰りに泊まったように思う。すでに9年前だ。
鄙びた温泉街は地元の農家のおばあの朝市が有名だ。
今回の宿は前回に泊まった三春屋の隣の三浦屋だった。
鉄分の多い、かけ流しの温泉は体が温まるのが早く、ほてりが長続きする。



自炊部ではなく旅篭部の二階に泊めてもらったが、三間ぶち抜きの貸し切り状態だった。
昼に食べた蕎麦の量が多すぎて、日暮れ時まで温泉町を端から端まで散歩してもお腹が空かず、夕食に出してもらった盛りだくさんの郷土料理を残してしまった。申し訳ない。
三日目は三十周年を迎えた山形市内の芋煮会を覗いてみることにした。
今年の芋煮会は特別で、30周年記念のイベントとして8時間以内に5000人以上の人数の参加者がひとつ鍋のスープを味わうギネスの世界記録に挑戦する。盛んに地元のテレビやNHKで宣伝していた。
11時半に会場に着いたが、入手できた芋煮サービス券は15時の時間指定で待ち時間が3時間以上あり諦めた。



今朝の新聞を見るとギネス記録は達成できたが、結局、芋煮が足りなくなってしまったらしい。待っていても食べられなかった公算が大だったのだろう。
もう一泊するかどうか迷ったが、すっかり温泉疲れしてしまったので
あとはひたすら高速道を走って帰ってきた。