長崎と福岡漫遊

星野道夫の著作を読んでいたら新しいカメラが欲しくなった。
広大な自然を自らのカメラに収めたい。
ゾロ目の66歳の誕生日祝いと今年が最後になるだろう冬のボーナスを当て込んで
一度は手にしたかったフルサイズ一眼デジカメのソニーα7を買った。
(次のゾロ目は77歳の喜寿だから、生きているとは思えないし・・・)

24日と25日に福岡で会合があったので新しいカメラを提げて、
23日の勤労感謝の祝日に長崎に前泊し、会合のあと福岡近辺も観光してきた。
長崎は40年ぶりだ。
長崎は定番の観光スポットを巡った。
久しぶりにヒッチハイクの若者を見た。

はじめに出島に行った。
昔はただの更地だったが今では鎖国時代の街並みが再現されている。
建物が並んでいても昔海だった周囲は埋め立て地になっていて往時を偲ぶ雰囲気はない。
現在はもう一度周りを掘って堀にする工事が進行中だった。


(平成17年の航空写真)


西洋人は昔から太っていたようだ。巨漢に当時の日本人は圧倒されただろう。
長崎再訪の目的のひとつは、憧れの本場長崎ちゃんぽんと皿うどんを食べることだった。
ちゃんぽん発祥の店、四海楼がお目当てだ。
店内は超満員、待つことおよそ三十分、さすが本場の味は美味かった。



昼食後の市内観光は大浦天主堂からグラバー園オランダ坂をぶらぶらする。
文明開化の衣装を着た美しい女性の方々の写真を撮らせてもらった。





長崎新地中華街を見学してガイドブックに載っていた桃太呂という名の店で
夜食用の小さな豚まんを買い
夕食は浜町商店街の吉宗(よっそう)で茶わん蒸し定食を食べた。
名物は体にやさしい素朴な家庭料理の味だった。



二日目の24日は泊ったアパホテルの目の前の長崎駅前バスターミナルから朝一番の高速バスに乗って博多に移動した。
この日は会議や施設の視察など、夜まで真面目に仕事だったので観光はなし(会議はほとんど居眠り状態だったが・・・)。
三日目の25日は昼過ぎまでが仕事だった。
ちょうど福岡では大相撲九州場所の最中だったのでお相撲さんをあちこちで見かけた。
駅近くの住吉神社では朝稽古をしていたようだ。

仕事を終えた午後からは市内を離れJR九州に乗って飯塚に脚を伸ばした。
飯塚は明治から昭和五十年代まで炭鉱で栄えた町だ。
かつて栄華を誇った町も、いまでは静かな鄙びた町になっている。
ここには現副総理麻生太郎ゆかりの屋敷があるので見学しにきた。
もうひとつの街の観光の目玉が、大正時代の歌人で時代を代表する三美人のひとり柳原白蓮の嫁ぎ先の旧伊藤伝右衛門宅だ。
麻生家の大浦荘は予想に反して質素な屋敷だった。



それに反して柳原白蓮の屋敷(旧伊藤伝右衛門宅)はすごい。
金の襖があるし、庭は公園のようだった。
立志伝中の、今風に言えば成金の伊藤伝右衛門の妻として二度目に嫁いだ白蓮には覚悟も思惑もあったのだろうが、
東洋英和学院を出た都会育ちの才女にはつらい日々だったことは想像に難くない。


(よく見ると確かに美人、竹下夢二の絵のようだ)

(白蓮の居室)
日が暮れて博多に戻ると駅前はにぎやかなイルミネーションで輝いていた。
修復されたばかりの、突然陥没した駅前の目抜き通りを見物した。
皆用心してか車の通行は少なかった。目の前のセブンイレブンはまだ休業中だった。

今回の旅のもう一つの目的が美味い“もつ鍋”を食べこと。
以前に来た時に食べたもつ鍋が感動するほどうまかった。
どこで食べたかのかよく覚えていないのでインターネットで調べた店にあてずっぽうで行ってみた。
でもにんにくの味が強すぎてうまくなかった。残念だ。


四日目(26日)は午後の飛行機で帰るので午前中しか時間がない。
久留米に行くか柳川に行くか迷う。
結局、西鉄大牟田線に乗って柳川に行き、川下り舟(と言ってもお堀の周遊)に乗ることにした。
舟遊びには少し早いのでインターネットに載っていた、近隣の中島朝市に出向いてみた。

小さな路地に地元の老婆が野菜や魚やエビ、手作りのさつま揚げを売っていた。
なんだかとても懐かしい雰囲気だ。
年寄りが居場所を確保して働く姿に心が和やかになる。
日が昇って晴れていたが寒気の襲来で寒い日だった。
柳川駅前に戻り乗船場から底の浅い舟に乗った。


膝に布団をかけ、約一時間の舟遊びを楽しんだ。
お花(旧立花別邸)の見学や老舗で名物の鰻の櫃まぶしを食べたかったが時間がなかった。
電車で博多に戻り福岡空港から三時過ぎの飛行機で帰ってきた。